髪の毛を巻かなかった16歳の私へ

盗電じゃん。

なんて冷めた言葉なんだろう。
高校生だったあの日の昼休み、通っていた高校のコンセントを使ってヘアアイロンを温めていた友達を見てそう思った。先生にバレたらどうするんだろう。犯罪だし。でもたぶん、この子はバレないタイプの人間だな。そう思った。
正確には友達の指を見ていた。細い指と、マニキュアが薄く塗られたピンク色のつめ。何したらそうなるんだろうと思いながらもそんなことには気づかず、彼女は慣れた手つきでくるくると髪を巻く。じゅわじゅわと確かに熱されていく彼女の髪を見ながら、お風呂上がりのドライヤーでしか熱さを感じられないわたしの髪の毛を思って、泣きそうになった。
「使うんなら電源いれておこうか?」


いや盗電じゃん。そうは言えなかった。絶対しちゃダメなことなんだけど。それだけが理由じゃないけど。声に出せたのは、私、髪短いし巻くとかないから、いいや。だけだった。
彼女の髪の毛は、どうしたらそんなにふわふわになるのか、構造がまったく分からないままに揺れていた。彼女の周りの空気さえもが彼女に味方している。電源は、コンセントから切られた。

高校の時の私は、真っ黒で、耳が見えるほどの短い髪型をしていた。一重。筋肉質。足にはアザや引っかき傷だらけ。ボサボサすぎて眉毛を剃ることさえもできない。
中学生の時、男の子に、ブスと言われたことがあった。毎日、自分の顔を評価されているような気持ちになり、息がうまくできないことがあった。これ以上は思い出したくないほどである。自分の容姿にコンプレックスがあった私は、髪を巻くにも「自分が可愛くなろうとしている」と思うだけで胃液があがってくるような感覚に襲われていた。
友達は、皆「イケてる」女の子だった。どうしてかこんなに「イケてない」であろう私の周りにはそのような子が集まる。スカートは腰で折り曲げられていたし、頬はなぜか天然でほんのり桜色をしていたし、まつげ美容液を塗っていたし、それが「許される」タイプの女の子達だった。私は一回も、誰にも許される事はなく、ついには自分も自分を許すことができないまま、私のためにヘアアイロンのランプは点滅することなく、高校生活を終えてしまった。

私が今から書こうとしていることは、たぶんブログにするほどのことじゃないと思う人もいるだろう。「迷い」と「決断」ってそういうことじゃないと思う人もいるだろう。転職とか、人生における大きな決断とかのことなのか。
私が今かいていることはけっして壮大でもロマンチックでも感動的でも珍しくもない。でも私にとっては、それが世界の全てだったのだ。
人は毎日、とても小さな決断をしている。
レシート貰おうか。貰わなくてもいいか。一本のがそうか。これに乗ろうか。頭から食べようか。尻尾から食べようか。この人フォローしようか。知らない人だしやめとこうか。
大学生になった私はその小さな決断を鏡の前で毎日するようになった。

今日は何の口紅を塗ろうか。



そう、化粧をするようになったのである。化粧なんて可愛くなるための一番簡単な手段だろうと思う人がいると思う。自分が可愛くなろうとすることを許さなかった高校時代は、校則のせいにしてメイクからは遠ざかっていた。大人になるのはいいものだ。校則ばかりの高校生とは違って、少し化粧をして、茶髪にして小綺麗にしておけば、「それなり」になれるんだから。中学生、高校生の私に言ってやりたかった。
高校の時はしていなかった化粧だが、大学生になった途端に化粧の方から私に擦り寄ってきたようなきがする。皆が化粧を始めるその瞬間に私は待ってましたと言わんばかりに走って追いかけた。置いていかれないようにその瞬間を瞬きせずに追いかけた。「許される」タイプの女の子になりたい。なりたい。

可愛くなろうとすることを、決断した。



化粧をしている間、私は甘美な夢を見る。
産毛を剃刀でそっと優しく剃り、まつげを根元からグイッとあげ、キャンメイクのクイックラッシュカーラーをベタベタッと塗る。これで一日まぶたは落ちない。ヒロインメイクのアイライナーで目の幅を不自然なほどに横に広げ、アディクションのタイニーシェルをブラシにとりアイホールにのせる。まつ毛の間をペンシルのアイライナーでゴリゴリ埋めていく。
下まぶたの目尻にはタレ目に見えるように濃いめのシャドウをのせる。眉毛にヘビーローテションの眉マスカラで色をつける。ラデュレのピンク色のチークをほんのり丸く入れ、セザンヌのハイライトを鼻筋にスッと入れる。マジョリカマジョルカのアイシャドウで涙袋を作り、クラランスのリップオイルを食べてしまうほどにペタペタと塗る…………
もうこれだけで、泣きそうになる。あぁ。
幸福で、泣きそうになるのだ。あぁ。よかった。今日も外に出れそう。

しかしというもの、違う意味で泣きたくなることもあった。
化粧をするようになってから、本当の自分というものがわからなくなった。いわゆる「モテメイク」ばかりを好むようになった。一重の目や、大きな鼻、厚い下唇。かつてブスと言われた時の自分に戻りたくはない。

ああ、本当は派手なメイクもしてみたい。

メイクをするようになって気づいたが、私はどうやら自分が思っている以上に化粧という行為が、大好きらしい。これも決断したことにより、初めて気づけたことなのである。美容誌をよみ、いろいろなメイクを見るだけで背中に幼虫が這うような恐ろしいような感覚を覚える。美しすぎて、恐ろしい。あぁ。
濃い色のアイシャドウで囲み目をしたい。マスカラをしてまつ毛をあげなくてもいいようになりたい。色をたくさん使ったメイク。ザクロを噛み締めたのかのようなダークリップ。濡れたようなボサボサの眉毛。自分のために自分の好きなメイクをしてみたい。

しかしメイクをする様になってからというもの、合コンや、ましてやちょっとだけ出かけるときにも、どうしても男の人からの目が気になってしまう。可愛く、か弱くしないと。あぁ。可愛いと思われたい。よく思われたい。ああ。アイラインは下げないと。涙袋。別に好きでもない色のリブのニット。小さなカバン。ああ。巻き髪。香水。
自分の好きでもないものを体にまとう時のジトっとした感覚が気持ち悪かった。私は毎日、プールの後の授業の様な疲れを感じる。

ああ。ため息とは違う声が、私の中だけに響く。


なんで毎朝まつ毛をあげないという決断ができないのだろう。私は毎日迷っているのに。迷っていても、決断はできない。誰かに決めてほしい。自分のままでいることを、誰かに決めてほしい。

ある日、友達から飲みに誘われた。
朝、鏡の前に座った私は、自分で自分を許してあげる
という決断をした。なんでその決断に至ったのかはわからない。でも、迷っていたのは確かだ。迷っていた。あの時の私は確かに迷っていたから、決断した。

いつも直角までにあげているまつ毛をあげなかった。代わりに、クリアマスカラを塗った。腫れぼったいまぶただったが、恋をし、顔を赤らめている少女の頬様に愛おしかった。いつもはザセムのコンシーラーを重ねている肌は、今日はたくさん呼吸している様だった。鼻筋は光を差し込むことなく、暗いままだったが、よく眠れている様だった。許してあげよう。アイライナーは使わない。私がいつも雑誌を見て憧れていたメイクを、自分の顔に施すのだ。セルヴォークのグロスを塗っただけの口紅は、いつもティントを塗っている時よりも恥ずかしそうに見えた。髪の毛はまとめるだけ。上下デニムのセットアップに、耳には大きなイヤリング。大好きなスニーカーを履く。ヒールなんてない。ああ。ああ。

ああ!

そのまま居酒屋に行った。普通の大衆居酒屋だったが、死ぬほどドキドキしたし何回も何回もトイレによって自分の顔を見てみた。自分の好きな格好をして、メイクをして、居酒屋にいくのは爽快だった。気持ちよかった。いつも男の人が横に来るだけで、すれ違うだけでドキドキし、通知表をもらっている私はそこにいなかった。自分で自分に下す決断には、なんの濁りもない。レモンサワーが美味しい。私を祝福するかのようだった。

自分が自分のままでいることを、決断した。

いつもしているメイクと違うメイクをする。これだけ聞くと小さな決断かもしれない。でもその決断の裏にはたくさんの迷いがあるのだ。迷いなしに決断はありえない。なんて美しい関係なんだろう。その迷いを愛おしく思う。決断できる人、だなんてかっこいい言葉だけど、わたしは迷うことのできる人のほうが、何倍も、かっこいいし人間らしいと思うのだ。

勿論まだ毎日迷っているし、男の人の目が気になって、好きでもない武装をみにまとう日だってたくさんある。それもまた、決断なのかもしれない。


「使うんなら電源いれておこうか?」
その時は使わないという選択をしたけど、この時に迷わせてくれた友達に、感謝をしたい。迷わせてくれて、ありがとうと。そして、私にも言ってあげたい。たくさん迷ってくれてありがとうと。
私は今日もヘアアイロンを電源を抜いたままにしておく。
つけるか、つけないか、迷えるように。



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